僕が勉強できない理由が分かった
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僕が勉強できない理由が分かった
これは個人的に、当てはまることですのでご了承ください。
僕は子供の頃から勉強ができませんでした。
でもそれは、勉強できないと自分に思い込んでいただけだったのだと最近気づきました。
当時、勉強のシーンで感じていたことはこうです。
英語の授業で、初めの英文は理解しているんですけど途中からついていけなくなることが多々ありました。
すると分からないことをほったらかしにできない僕は、そのつまずいた事柄で立ち止まって、納得行くまで答えをみつけようとしてしまう性格。
なので
結果どんどん進む授業についていけずに、途中でもういいやってことになり集中力がなくなり勉強しなくなり、
成績が悪く、英語が苦手科目になっていました。
ここで問題なのは英語が難しいとか苦手とか出来ないじゃないですよね?
進む内容についていけずに、投げ出してしまったことが問題です。
ではなぜ投げ出したのか?
それは、わからないことを解決させようと立ち止まって考えてしまったがゆえに授業についていけないという事態が発生したわけです。
もっと言えば、その状態が起きた時に自分の勉強に対する意欲が削がれてしまい、楽しくなくなり勉強を放棄したわけことになります。
いわば、自分は英語を理解している、ついて行っついる、というある種の満足感が得られなくなったことで、自分自身への期待がまでなくなり結果としてやる気を無くさせたわけです。
これ、勉強できないことにつながりますかね?
と思ったわけです。
勉強は『自分』との戦いである
こういう感じで、僕は自分で自分のやる気を無くす行為をずっっとして、勉強できないと自分自身に決めつけ、苦手なことを作ってきたのかもしれません。
また、他人と比べて自分は出来ていないと感じる時も同じような心境になり、やる気がなくなることもありました。
そういうことで言えば、勉強は自分との戦いだなと思うんです。
自分の力を信じきれなくて、自分の力量を認めずに勝手に自分自身に絶望して自暴自棄になり、すっかりやる気を無くして放棄する。
それの繰り返しをしてきたんだなと。
考えたのは、「恥」をとって対策を講じること
お分かりかもしれませんが、僕は完璧主義であり、自信家なのかもしれません。
だから勉強で分からないことや付いていけないと分かるとやる気を無くしてしまっていました。
今思えば、授業で分からないことがあった、付いていけないと分かったら恥をとり、対策を考えて実行することが重要だとわかりました。
ねちねちとプライドや意地を見せて放棄するよりも恥と感じることでも受け入れて対策を講じた方がよっぽど学べます。
凹んでる暇あったら恥を忍んで対策を実行する
これです。
自分の行動で人に笑われようが変に思われようが構うことはありません。
そんな恥は捨てましょう。もはや恥ですらありません。他人から見られる価値観なんて学びの場では関係ないのです。
不器用でも、アナログでも、人がしてないことでも、自分自身かま理解して身につくことを率先してする方がよっぽど良いです。
ということを資格の勉強で学びました。
学生時代の僕に教えてあげたいな。
ということで以上です。
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